る「日本国民の生命および財産を守ること」に対して、否定的
である。我々の生命、財産を犠牲にして昌益、威信を守ること
が、当然であるかの如く権力を行使している。日本国民は、開
発途上国なみの扱いを受け捕食されているのだ・・。
2008/11/13号

■無条件降伏が齎した負の遺産■
〜むじょうけんこうふくがもたらしたふのいさん〜
上記資料は、外務省が、中立国であるスイスとスウェーデンを
通じて行なったポツダム宣言の受理と交渉に関する電報とケー
ブルである。日本政府は、原爆の投下後、ポツダム宣言を受諾
する方針に変わった。これを聞いたアメリカ側は、「今頃になっ
て何を! 100日遅い!」と吐き捨てた。
1945年7月26日、トルーマン・チャーチル・蒋介石は、首脳
会談で採択された対日ポツダム宣言を勧告した。同年8月8日、
同会談に出席したスターリンが対日宣戦布告と共に宣言に参加。
その内容の一部および解釈を、以下に掲載する。
【ポツダム宣言13条】
吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言
シ・・・右以外ノ日本国ノ選択ハ完全ナル壊滅アルノミトス
「無条件降伏以外の選択をすれば、完全な破壊、壊滅がある」
と明記してあり、ソ連の対日参戦、アメリカの原爆投下を暗示
している。首脳会談における其々の立場は、トルーマンはアメ
リカの33代大統領であり、チャーチルはイギリス戦時内閣の首
相である。蒋介石は中国、中華民国の政治家。そして、20世紀
最大の虐殺者との謂れ高きソ連書記長スターリンである。この
蒼々たるメンバーによって概括されたポツダム宣言が、単なる
脅しで済まないことは歴然たる事実である。あらゆる可能性を
集結し、原爆投下を絶対回避させる策を講じるべきであった。
ところが、連合国軍の最後通告に対し、日本政府は、「黙殺」な
る美辞で応酬し、無為無策を糊塗(*注1)したのだ。このよう
に、原爆投下の実行行為に至る過程は、日本政府の対応如何に
依拠したものであるから、その責任の所在は明らかである。こ
れは、日本政府が、日本国民の生命を軽視するがゆえに起きた
最大の国家不祥事である。そして、この歴史の一篇に見た心魂
は、現在における司法権力の跋扈(*注2)に因縁深い拘りを包
蔵させ、脈々と生き永らえているのである。
【6】吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐サラルルニ至ル
迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモ
ノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅ
ルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザ
ルベカラズ
*無責任な軍国主義が・・日本国国民を欺瞞し、これによって世
界征服をしようとした過誤を犯した者の権力及び勢力は、永久
に除去されなければならない。
【7】右ノキ新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕
セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ聯合国ノ指定スベキ日本
国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確
保スル為占領セラルベシ
*日本国の戦争遂行能力が破砕されたという確証があるまでは、
占領する。
【10】吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシ
テ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘
虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処
罰ヲ加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主
義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗
教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ
*われらの俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対して
は厳重な処罰を加える。日本国政府は、民主主義的傾向の復活
強化に対する一切の障害を除去する。言論、宗教及び思想の自
由並びに基本的人権の尊重は、確立されなければならない。
*同年7月27日、鈴木貫太郎内閣は、記者団に対し「ポツダム
宣言黙殺、戦争邁進」と談話した。それを受けた読売新聞は、
「笑止、対日降伏條件」と報道。(笑止とは、ばかばかしいこと。
おかしいこと。また、そのさま)そして、8月6日、広島に原
爆が投下され(死者、超26万人)、続いて9日長崎に投下され
た(死者。超15万人)。国民の生命などは、思考の隅にも存在
しなかったのであろう。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア』
昭和天皇(元首であり大元帥また正式には大日本帝国陸海軍大
将)の裁可を受けた政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権
の梅津美治郎とが連合国への降伏文書に調印した。
ポツダム宣言
http://kenbunden.net/constitution/files/shiryou_ver002/08_071129_a.pdf
■裁判所の闇■
【無罪判決が難渋する背景事実】
職業裁判官は、裁判所組織に属する以上、「処理件数」「判決内
容」「上訴の有無および結果」などによる最高裁事務総局の人事
評価システムを避けては通れない。通常、否認事件の場合、開
廷は3回程度であるのに、無罪事件の場合は十数回の開廷を必
要とし、検察の上訴に対応すべく判決起案にも精緻(*注3)が
求められる。すなわち、無罪判決を下すということは、検察批
判をすることに他ならず、当然の宿命ではあるけれど、検察と
の“判決破棄”を賭した厳しい戦いへの布告なのである。つま
り、無罪判決にかかる職務遂行は、困難かつ低能率である上、
判決が上級審で覆されることがあれば、致命的な失点となる。
これらは、人事評価制度の構造上、当人の評価価値を著しく下
げる要因となってしまう。ここに“深淵な不条理”が伏在する
のである。
そして、“深淵な不条理”を放棄した結果が、有罪率99.9%と
いう数字なのであって、検察の起訴便宜主義による不起訴処分
に原因があるとする定説には疑問を呈する。一見何の変哲もな
いその制度(*1)は、我々国民を“無実の死刑囚”に仕立て上
げる威力を秘めていることを肝に銘じるべきである。2007年度
の統計から、無罪判決の記録は、10年間で過去最高の2.9%に
上昇したことが分かった。しかし、志布志事件、氷見事件、北
方事件、引野口事件などの冤罪が次々と明らかとなっている。
「処理件数」が重要な評価基準となり、重要犯罪における無罪
判決に対し、人事面での厳しい制裁が加えられる限り、職業裁
判官は、「無罪判決」「違憲判決」「国賠判決」に対する実直な評
価よりも、自己保身を最優先させてしまう。それでも権力に与
せず、誠実かつ真摯に職責を全うしようとする裁判官こそ、周
りに左右されない怜悧な判断力を有する、本来あるべき裁判官
の姿形なのである。
(*1):我が国の裁判官の人事評価の在り方に関する検討
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/saiban_kenkyu/jinzai_kenkyu/hokokusho4.html
【最高裁事務総局の陰謀】
最高裁事務局(翌年「最高裁事務総局」に改称)は、1947年、
連合国軍総司令部GHQの日本国憲法制定に伴い、同法第77
条に基づく「司法の独立」を保障するため、最高裁判所の訴訟
手続き、裁判所の内部規律、司法事務処理に関する規則を定め
る権限を付与され創設された。事実上、下級裁判所の人事権、
予算管理を掌握し、司法行政全体を統括する組織となった。と
ころで、この事務局創設に際し、日本政府は、大日本帝国憲法
下の「司法省」に所属した官僚たちを選任し、官僚支配の人事
を確立すると共に、「司法行政権を保有する司法省」で培った官
僚制機構を移植し、「官僚司法制度」を構築したのである。つま
り、官僚が、裁判所を統制し、管理しながら意のままに司法権
を行使するという制度である。現行の日本国憲法81条を駆使し、
微妙に法の解釈を改変させながら、夥しい数の最高裁判例を掲
げることにより、詰まるところ、日本国憲法の趣旨を阻却し、
大日本帝国憲法に近似する実体法が運用され、同法に基づく「国
家無答責の法理」(*注10)が基本理念である。憲法76条3項
の「裁判官の独立性」をとっても、実体から乖離していること
が容易に判断できる。以下、詳述する。
日本国憲法の基本原則は、国民主権・基本的人権の尊重・平和
主義であり、三権は分立し、司法権の独立を明記し、行政事件
も通常裁判所で行なうのに対し、大日本帝国憲法は、すべての
権力(統治権)は天皇が総攬し、臣民(*注4)は権利制限され、
司法権は天皇の名に於いて裁判を行使し、裁判所は行政官庁で
ある司法省に属し、同省が管轄する。また、検察官、裁判官は、
司法省の役人として共同して事件処理を行なう。行政庁の処分
の違法性を争う裁判(行政訴訟)の管轄は、司法裁判所にはな
く、同省の系列にある行政裁判所の管轄に属すものとし、行政
行為に対し、司法裁判所は司法権の行使が行なえず、行政権を
優位とする制度である。
【現代に生きつづける明治憲法の精神】
明治国家は、日本の歴史の中で大きな転換が起こった時代であ
り、1890年11月29日施行の大日本帝国憲法下、日英同盟、日
露戦争へと発展し、軍隊を軸とした軍事色の強い国家であった。
建前は、天皇を頂点とする支配構造であり、上に対しては絶対
服従、下に対しては「天皇の名において正当化される」という
秩序である。天皇機関説という学説によれば、「統治権(主権)は
法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として他の機関の参
与・輔弼(*注5)を得ながら統治権を行使する」という。しか
しその職務は、法律を裁可することのみであり、またその裁可
には国務大臣の副署が必要とされ、大臣副署がなければその法
律は無効であり、さらに天皇が裁可を拒むことは形式上可能で
あっても、事実上不可能であった。直言すれば、
その精神は
天皇を奉り神格化することにより、宗教の神秘、畏敬の念に乗じ
て国民を操り、かつ為政者の責任の所在を曖昧模糊とする。
て国民を操り、かつ為政者の責任の所在を曖昧模糊とする。
に帰結する。
ポツダム宣言の【6】に書かれた「無責任な軍国主義が・・日本
国国民を欺瞞し」の分析は、まさに正鵠を射た表現である。当
時の日本政府は「神社は宗教に非ず」と強弁し、神社への参拝
強制、天皇崇拝を正当化した。この問題は、現在においても、
靖国神社参拝、信教の自由に関する問題に影響を与えている。
要するに、日本国民を戦争に駆り立てるための、便宜上の拙策
に過ぎないのだ。
表見上の天皇支配下、岩倉具視は、下級貴族、下級武士からな
る明治政府を築き事実上、日本を支配した。民衆の抵抗、社会
運動の衝突には、強権的弾圧で封じ込み、国家、社会、天皇に
対する思想批判を絶対容赦せず、徹底的な思想教育、言論弾圧
を行ない、文明開化、近代化、明治維新という美辞麗句で時代
を粉飾し日本国民を欺罔した。明治政府以後の権力は、岩倉の
基盤を継承した官僚、軍隊、財閥、地主などの支配層が、日本国民
を弾圧により洗脳し、意のままに操り、近隣諸国の侵略戦争に
動員し、軍国主義の道を突き進むことに繋がった。当時の日本
国民に自由、人権は認められず、権力を批判できる術さえ与え
られず、奴隷同等の扱いであった。

April 11, 1945: A Kamikaze is seen about to crash
the USS Missouri BB-63 off Okinawa.
the USS Missouri BB-63 off Okinawa.
【日本軍の戦術から見る人権意識】
1941年12月8日・・真珠湾攻撃
1941年12月10日・・マレー沖海戦
1942年5月7〜8日・・珊瑚海(さんごかい)海戦
1942年6月5〜7日・・ミッドウェー海戦
1942年8月〜1943年2月・・ガダルカナル戦
1942年8月〜11月・・ソロモン海戦
1944年6月〜7月・・サイパン島陥落
1944年10月23〜26日・・レイテ湾海戦
1945年2月19日〜3月26日・・硫黄島作戦
1945年4月〜6月・・沖縄戦
1941年12月、日本軍の真珠湾攻撃により太平洋戦争は幕を開
けた。日本政府は、戦争に反対する言論はすべて弾圧し、召集
の掛かった若者は、教育勅語(*2)に基づく@日本国民は天皇
の子供。A軍事兵器は天皇陛下からの賜り物。B天皇陛下に身命
を捧げるのが日本人の義務。などの不可思議な精神を強制洗脳さ
れ、陸・海・空軍、いずれの配属に拘わらず、日本軍の主力戦
法となった「安全機能を取外し、さらに爆弾を多量に積載させ、
敵艦に体当たりする玉砕戦法」、つまり操縦者の死を前提とした
組織的戦略を強要され、その特訓に従事させられたのである。
レイテ湾海戦で名を馳せた神風特攻隊をはじめ特攻魚雷・特攻
爆弾・特攻機雷・特攻艇など次々と特攻兵器が開発、量産され、
補欠人員が動員された。1944年7月、サイパン島陥落により航
空母艦や航空機の大半を失い、太平洋水域の制海権を喪失し、
日本本土への空爆を許すことになった。硫黄島作戦では、日本
軍2万1000名の死守する硫黄島(小笠原諸島南方)に、米軍第
3、4、5海兵師団6万1000名が上陸。約1ヵ月の激戦で日本軍
は全滅した。この戦いで日本の主力艦隊は壊滅状態に追い込ま
れ、攻撃する戦力は失われた。最期の戦線となった沖縄戦(*3)
では、3月にグアム島から発進した約55万人の米軍大艦隊は、
4月に沖縄本島中部西海岸に上陸し、地上戦に突入。日本側は、
防衛隊と学徒隊2万人余を加えた約10万の兵力を中心に応戦、
3ヵ月に及ぶ戦闘が行なわれた。日本海軍航空部隊は「菊水作
戦」と呼ぶ特攻攻撃作戦を敢行、4月6日の菊水一号から6月
22日の菊水十号作戦まで、特攻攻撃で2000人が戦死した。こ
れに呼応して陸軍航空部隊も特攻攻撃を行ない、約1000人が戦
死した。本島南端の摩文仁(まぶに)まで撤退した司令部壕で
作戦を指揮した牛島満司令官が6月23日、「最期まで戦え」と
命じ自決したことにより、日本軍の組織的な抵抗は事実上、終
わった。 沖縄戦の犠牲者は日本軍9万人余、一般住民9万人余、
米国軍1万3000人弱とされる。沖縄県民の犠牲者は計12万人
以上と推定され、そのなかには「鉄血勤皇隊」の男子学徒隊、
「ひめゆり部隊」の女子学徒隊の犠牲者も含まれる。精神的に
退路を断たれた住民の集団自決、日本軍によるスパイ取締り名
下の住民虐殺、食料強奪、壕追出しなどが相次いだ。想像をは
るかに超えた阿鼻叫喚の地獄絵図である。そして、これらを経
て、冒頭のポツダム宣言の勧告に至るのである。
(*2):教育勅語
http://kan-chan.stbbs.net/docs/chokugo.html
(*3):【沖縄戦】出典: フリー百科事典『ウィキペディア』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6
トルーマンが「原爆投下」の意志決定をしたプロセスについて、
インディアナ大学名誉教授ロバート・ファレルは、「トルーマン
と原爆:文書からみた歴史」と題する文書のなかで次のように
述べている。(一部抜粋、同一性保持権を侵害しない改変あり。)
トルーマン大統領の頭の中には2つの理由があった。一つは、
日本軍の第二次世界大戦の進め方にあった。日本は1937年、開
戦の当初から野蛮きわまりない戦争を実施した。同じ年、日本
は南京を占領したが、その人的犠牲はとてつもない。日本占領
軍は、10万人から20万人もの人間が、血に飢えているとしか
いいようのない理由によって殺されたのである・・。
その上、残りの3年半もの戦争期間中、軍事捕虜や抑留された
民間人は、日本軍の収容キャンプで動物のような生活に耐えね
ばならなかった。また第二次大戦の終わりまで、(捕虜に対する
侮蔑を示したとしか思えない全く手当たり次第の)銃撃や斬首
が続いた。その例は数え知れない。日本の戦争のやりかたは、
ジュネーブ協定に違反するばかりか1920年代の中頃に行なわ
れ、つい最近署名された一連の国際法にも反している。それば
かりかソビエト捕虜に対するナチドイツ軍の扱い、ホロコース
ト、ナチ時代の身の毛もよだつような政策に基づいた皆殺しな
どとも同類であった。
*日中戦争初期の南京攻略戦時に「日本軍将校2人が日本刀でどちらが早く100人を斬るかを競ったとされる」百人切り競争事件。また、終戦後発覚した「日本軍が米軍の捕虜8名を殺害しそのうち5名の人肉を嗜食したとされる」小笠原事件。満州事変勃発翌々年の1933年8月に創設した特殊部隊、満州第731部隊、正式名、関東軍防疫給水部本部のありとあらゆる生体解剖。などがあり、諸説、反論は存在するが、すべて事実と認められる。
もう一つは、果たして日本政府を説得し降伏させることができ
るかどうかと言うことだった。当時日本軍は(明白に破滅的状
況だったとはいえ)、降伏するつもりはなかった。もし決定が非
軍部のリーダーたちによってなされるならば、戦争は恐らく早
急に終結していただろう。しかし、決定権は軍部首脳にあった
のだ。(このときまでに、艦船のほとんど全部が航行不能に陥っ
ているかまたは撃沈されていた。) 日本の軍部首脳は、いかな
る犠牲を払おうが戦い続ける覚悟だった。
そしてその時彼らの手にあったのは、大砲の放列と“カミカゼ”
にもなりうる5000機の航空機だった。硫黄島や沖縄の時同様、
攻撃にあたっては必ずや大きな犠牲が必至だった・・。
トルーマンと原爆:文書からみた歴史
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/Robert-1.htm
【失われた司法権の独立性】
今日、裁判官が法務省などの行政機関に出向して、行政事務を
行ない、あるいは、検察官が裁判所に出向して判事になるなど、
“判検交流人事”(一般職員も含む)が広く行なわれ、大日本帝
国憲法下の司法行政政策が公然と採用され、判検の癒着を強め
ることにより、公判における判検の潰し合いを緩和し、行政事
件、労働事件にかかる国民の勝訴確率は限りなく減少する。
世論が注目する事件、重要な事件、困難な事件では、最高裁事
務総局が、「裁判官会同」「裁判官協議会」を開催し、模範解答
と称して指示を与える。また、上記事件では、最高裁に裁判の
進行状況を逐一報告しなければならないというシステムが存在
し、下級裁判官らは最高裁から常に監視される。
趣旨違いの適性検査により、判事補となった新任裁判官は、「判
例至上主義」を徹底指導され、最高裁の判断を想定して判決起
案するよう教育される。10年後の再任人事の評価システムは、
最高裁に対する脅威となるだろう。裁判官の給料体系は、4号
俸までは勤務年数に応じて昇給するが、3号俸からは最高裁事
務総局の評価に委ねられる。4号俸と3号俸の差は年間400万
円程度で、上下24段階に細分し、全体で10倍の格差が設定さ
れ、官僚統制に大きく貢献している。また、最高裁事務総局は、
思想信条による差別人事をおこない、意向に逆らえば、任地
、地位、給与等において冷遇される。つまり、「裁判官の独立性」
は担保されていない。そもそも、創設の趣旨に逆行する組織で
ある。
【官僚たちが原点とする訴訟運営】
ポツダム宣言に基づいて遂行された日本民主化政策は、当時の
社会情勢から見た日本国憲法との隔たりを考えれば、驚異的で
あり、日本国民にとって、主権の移譲による意識の改革、社会
システムの変換による混乱など大きな変革を及ぼした。ポツダ
ム宣言受諾による無条件降伏の下、連合国軍総司令部GHQの
威令によりなされたところが、他の国々の民主化とは大きく異
なり、司法権力が忌み嫌う根本的理由である。
しかし、旧来の既得権益を守るために体制を堅持し続け、精密
な偽装に異常な執念を燃やし、国民を騙し続けてきた官僚たち
の意識は、戦前の旧体制に立ち返って裁判処理を行ない、国民
の人権保障のあり方も明治憲法に準拠して取扱うという付会(*
注6)の論理に基づくものである。だからこそ、明治41年に制
定された監獄法は100年以上も改正されず、代用監獄制度も現
存するのだ。そして、無実の死刑囚に対する刑の執行を省みな
い、行動科学を基礎とした法則と一致する。これらは、愚かし
い所業の一言に尽きる。国民の人権にかかる諸問題、国民の公
益に寄与する監察医制度などは、予算を削られ、官僚の天下り
先には、随意契約により芳醇な国家予算が組み込まれる。総額
5兆6839億円(朝日新聞2008/03/25)。いかに日本国民が虐げ
られているか、論を待たない。
【公然と行なわれる国民騙し】
いずれ、司法と行政機関(法務省)の一体化が実現すれば、民
主主義の象徴、三権分立は形骸化し、政府支配による完全な司
法統制が完成するだろう。そして、司法権の独立なき独裁国家
になるのだ。実情は、海を隔てた某国となんら差異はない。対
策室は、マスコミ、世論に注視し、時々に真実を鏤め、民意を
制御し、かつ欺罔し続ける。通常事件、国策事件、特殊事件な
ど態様により選り分けられ、「談合」同様の手法にて、公判前に
結論と戦略が打ちだされ協議される。それゆえ、事前に全証拠
の開示を要求するのだ。かりに、証人がいたとするならば、そ
の証人は潰されるであろう。神聖であるべき法廷は茶番劇場と
化し、担当裁判官らは、既定の判決起案に準拠した訴訟指揮を
まことしやかに演出する。その演技力がしいては評価に繋がる
のだ。その裏で、民事訴訟に費やした膨大な時間と主たる財産
を失い、塗炭の苦しみに喘ぐ日本国民は増加の一途を辿るだろ
う。さらに、無実と思しき人々が投獄され、長い年月に亘って
放置される現実も、対処の手立てなしと諦観される。警察の代
用監獄と裁判所の自白偏重がある限り、司法権力に利害が発生
すれば、反目する分子が標的となる可能性は常に存在する。最
高裁事務総局は、傀儡(*注7)裁判官の育成と国民騙しに跳梁
(*注8)し、日本の最高裁は威信と権威を守るため、無実の可
能性を秘めた死刑囚の再審請求を無慈悲に却下することが海外
でも認識され、《国連人権理事会》は勧告を続け、戦時中同様、
野蛮国家の烙印を押されるのだ。若き生命の犠牲を厭わず、徒
為(*注9)な殺戮を躊躇(ためら)わず、神をも恐れず、狂気
を孕んだこれら旧日本軍の心魂を継承する遺伝子が、未だ猶、
腐敗した絶対的権力を盾に采配を取り続けている結果であろう。
次号では、死刑囚の処遇について検証する。
【こ‐と×糊塗(*注1)】
[名](スル)一時しのぎにごまかすこと。その場を何とか取り
繕うこと。「失態を―する」
【ばっ‐こ×跋×扈(*注2)】
[名](スル)《「後漢書」崔伝から。「跋」は越える意、「扈」は
竹やな》魚がかごを越えて跳ねること。転じて、ほしいままに
振る舞うこと。また、のさばり、はびこること。「軍閥の―」「悪
辣な商売が―する」
【せい‐ち精×緻(*注3)】
[名・形動]極めて詳しく細かいこと。たいへん綿密なこと。
また、そのさま。「―を極めた細工」「―な観察」
【しん‐みん臣民(*注4)】
君主国において、君主の支配の対象となる人々。明治憲法下に
おいて、天皇・皇公族以外の国民。
【ほ‐ひつ×輔×弼(*注5)】
1 天子の国政を輔佐すること。
2 明治憲法下で、国務大臣・宮内大臣・内大臣が天皇の権能行
使に対して助言すること。
【ふ‐かい付会(*注6)】
[名](スル)こじつけること。無理に関係づけること。「古人の
言に―して説をなす」「牽強(けんきょう)―」
【かい‐らい×傀×儡(*注7)】
1 あやつり人形。くぐつ。でく。
2 自分の意志や主義を表さず、他人の言いなりに動いて利用さ
れている者。でくの坊。
【ちょう‐りょう跳×梁(*注8)】
[名](スル)はねまわること。転じて、好ましくないものが、
のさばりはびこること。「悪鬼が―する」
【とい 1 徒為(*注9)】
むだなこと。無益なしわざ。
【国家無答責の法理(*注10)】
公務員の不法な行為により、国民が損害を蒙っても、それは公務員個人の責任であって、国家がその責任を負うべきものではないとする考え方。裁判所が行政権の適否を判断する行政裁判所、および国民生活の権利の調整を行う司法裁判所に分かれていた。しかし、警察、軍事、税務など公権力の行使に関わる事項については、公務員が不法行為により国民に損害を与えても国、公共団体はその損害賠償の責任を負うことはなく、当該公務員が権利を濫用し、また無権限で公権力を行使した場合に限り、当該公務員が国民に対してその損害の賠償の責務を負うものである、とした。
日本国憲法17条は「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その損害を求めることができる」と定めた。これを受けて、「国家賠償法」が制定され(昭和22年10月27日施行)、その1条で「国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失により違法に他人に損害を加えたときは,国又は公共団体が,これを賠償する責に任ずる」と定めた。
これについての通説は「公務員が違法な行為を行なったときは,国家の行為ではなく,公務員個人の行為であって当該公務員が責任を負うべきであるが,当該公務員のみに責任を負担させていたのでは,その個人財産(責任財産)に限度があるので,被害者の救済が十分に行われない虞(おそれ)があり,また,公務員の活動が萎縮して十分な行政権の行使ができなくなる虞がある。そこで,公務員の使用者である国が公務員個人に代わってその損害賠償責任を負担することにしたものである」(最高裁判所、昭和44年2月18日判決、判例時報552号47頁)。これを「代位責任説」という。
しかしながら、対「自己責任説」との解釈の相違により、当該公務員の故意、過失およびその不法行為の成立を立証する必要が生じ、その立証が極めて困難であり必然的に争点となる。そして、上記判例が判示するように、公権力の違法な行使に萎縮が見られず、公然と違法が行なわれるようになり、明治憲法下より「正義」は後退した感が否めないばかりか諸悪の根源となった。社会保険庁の年金問題は、その典型であろう。また戦前、日本の労働力を補うため、約40000人の中国市民を現地で拉致し、船で日本へ輸送し強制労働させた問題に、国が関与したことが明らかとなったが、認定はしても同法を適用し、犯罪同然の国家責任を免罪させている。いかんせん、拉致問題は日本が先駆者なのだ。


